カテゴリ: エッセー

04

僕はCUBKI(カブキ)というメディアコマースを運営しています。
モデル、読者モデル、スタイリストのようなタレントさんたちのファッションスナップがサイトには並んでいて、ユーザーはそのコーディネートの着用アイテムに似ているアイテムをプチプラ(低価格)で購入することができます。

どうやってスナップに”似ているアイテム”を紐づけているかというと、流行りの画像認識ではなく、人力に頼っています。今後画像認識と人力のハイブリッドにするようなことは考えられますが、人力に分があることは当面変わらないと考えています。

43

こういう話をピッチイベントですると、ウケがあんまり良くありません。他のスタートアップが「どう自動化するか」「どうデータ活用するか」というモダンな話をしている中で、何だか"いけてない印象"を与えるのだと思います。

でも「筋が悪いな」と人から思われるくらいがちょうど良いと思っています。ウェブアプリもスマホアプリも乱立する中で、人のやりたがらないこと、人のしようとしないことに取りかかって初めて今までになかったサービスを作りあげることができるからです。

とは言ってもCUBKIは無闇に人力に頼っているわけではありません。CUBKIが扱っているのはモデルや読者モデルのようなタレントのスナップだけ。コンテンツ価値が非常に高いんです。千疋屋があまおうを一つ一つ磨いてきれいに箱詰めするのと同じように、我々は職人の手でスナップを一つ一つデータ化していっています。もともとコンテンツ価値の高いものに、更に付加価値をプラスしているんです。

こうすることでユーザーに確かなバリューを提供できます。かわいいスナップが並んでいるので、CUBKIを開くだけでも気分が上がります。気に入ったアイテムはプチプラで購入してファッションに取り入れられるので、より「自分ごと」の深度のあるメリットを享受できます。更にファッションに関するエモーショナルな記事を読めば、内面磨きにもつながります。分かりやすいところから理解にちょっと時間がかかるところまで、レイヤーを複数持つことで「実際に使われて」かつ「飽きのこない」メディアを目指しています。

一方でタレントさんたちにはお金を稼いだり、新しいファンを取り入れたりできる場を提供しようとしています。タレントさんをうまく利用しようとかいう魂胆はなくて、個人として頑張っている人たちの力になることをまずは考えています。タレントさんたちの力になることができれば、おそらく結果はついてくるからです。
まだ始めたばかりですが、タレントさんたちを取材する企画も始めました。モデルさんたちは皆さん熱い思いをお持ちなんだけれど、必ずしもそれを文章表現することに長けているわけではありません。「新しいコンテンツを引き出す」という面でもお力になりたいと思っています。
育児、美容師、モデルの仕事を楽しみながら、外見も内面も磨く"望月けい子さん"にインタビュー! 


まとめると、現時点ではとにかく「ユーザーに支持されること」を一番に考えています。ユーザーさん、タレントさんたちのためにならないことには、何も始まりません。
ビッグデータ的なものは最初に見通しを立てて設計さえしていれば、後からいくらでも活用できます。例えばCUBKIにはデータ化された大量のハイセンスなコーディネートがあるので、ファッションリーダーであるタレントたちが「何と何を着合わせているのか」というデータを持っています。このデータを活かして人工知能のスタイリストを作ることもできるし、次期のトレンド予測をするようなこともできます。
まずは使ってもらう。そこを愚直に突き詰めているのが、CUBKIの現状です。 

CUBKI(カブキ)
Facebookページ 

11月に発売された母のスタンプ(気まぐれニャンコたち)は、翌日にはクリエイターズスタンプのトップ100位以内にランクインし、お金をかけてプロモーションを打っているわけでもないのに、ユーザーに使われ、使われることで広まるサイクルで、じわじわと順位を上げていきました。
LINEスタンプはその競争率の高さから「博打」と見なされることもあります。実際に「適当に作ってアップしてみたらぼろ儲けしました」という人も少なくないようですが、そうやって「博打で成功した人」と「着実に積み上げてきて成功した人」とは分けて考える必要があります。前者には再現性がなく、後者には再現性があります。僕の母はどちらかというと不器用な後者であり、成功までには明確な道のりがあります。この道のりには一定の情報価値があると個人的に思い、僕なりに分析して記事にまとめることにしました。

10550878_504506539682282_5914026732736926820_n

1.イラストの技術をずっと磨き続けてきたこと

母はもともと請け負い仕事でイラストを描いていました。「描きたい絵と仕事絵のギャップがあること」を原因に仕事の請け負いをやめた時期もあったけれど、その間も絵を描くこと自体は決してやめませんでした。「シェ プッペ」というアンティークショップを経営しながら、家事をしながら、忙しい時期でも言い訳することなく合間の時間を寄せ集めては毎日何時間も画材と向かい合っていました。
母の絵はすごく独創性が高いわけでもなく、有名イラストレーターのように商業とマッチしているわけでもないけれど、10年、20年というスパンで繊細な水彩画・色鉛筆画はただただ真摯に磨かれていきました。
水彩から色鉛筆に持ち替えたり、「自分の描きたいモチーフ」に限って仕事絵を再開したりといった”トライ”も大切にしていました。成人した子どもが2人もいるような年齢からPhotoshopやIllustrator(注:画像編集用のソフトウェア)の使い方をマスターして、ポストカードを作ったり、色調整やレイアウトの要素を取り入れて創作の幅を広げてきました。

母は時間をかけて細かく描き込むために、紙の目の細かい"ケント紙"という画材を使っています。このため日が沈んで室内が暗くなると、絵のディテールが見えなくなって描けなくなってしまいます。冬が来て日中が短くなるたびに、母はそのことを残念がります。それほどにイラストを中心に据えた生活を送っています。

10304769_569864569813145_8327553010521623215_n

2.「見る人」からのフィードバックを大切にしてきたこと

アートの分野では商業における需給バランスが悩ましい問題です。才能があって努力をしていても「商業に合わない」という理由で絵とは別に食い扶持を持つ必要に迫られるアーティストが毎年美大から輩出され続けています。若手アーティストの集まる展示会を見に行くと、その完成度や芸術性の高さに感動させられるけれど、商業的に必要とされるのはその中のごく一部です。
「芸術と商業の折り合いをどう付けるか」はこれまでも議論されてきたし、これからもたくさんの人が頭を悩ませる問題だと思います。

母は自分の描きたい絵だけを描き続けながらも、描くことだけに満足することなく、個展を開いたりウェブサイトで発信したりと、常に「見られる」ことにも気を配っていました。ビジターの感想を聞いたり、ウェブサイトのアクセス履歴を見たり、ポストカードを作って販売したりすれば「どのイラストが人気か」ということが多面的に分かります。
自信作に人気がないことに悩んだりもしながら、発信することでフィードバックを得て、マーケットの感覚を母なりに学び続けています。

10407492_562968823836053_4972332955204813058_n

3.ファンのコミュニティをつくり続けてきたこと

個人の作家を成功に導くのはファンです。1:nの関係を大きくしていくことが作家として成功するための鍵であり、ここに取り組まない限りは請け負いで「1枚いくら」の仕事をしていく他ありません。

個展やグループ展といったアナログから始まり、mixiのコミュニティで意見交換の場を作ったり、Facebookページで創作活動を発信したりと、トレンドにキャッチアップして母はコミュニティ作りを続けてきました。
他にもブログ・pixiv・Pinterestと時代の流れにあったツールを愚直に取り入れてきたこと、そこで丁寧な運営を続けてきたことがファンの基盤を作り、少しずつ、着実に実を結んできました。
LINEスタンプに取り組んだこともその延長上にあります。このスタンプがより多くの人の目に留まることで、ファングループがまた一回り成長していくのだと思います。

さいごに:母がLINEスタンプをヒットさせるまでに回してきたサイクル

母は技術を磨き続け、マーケットの感覚を知り、時代に合ったツールでコミュニティを作り続けてきたことで、LINEスタンプをヒットに結びつけることができました。
技術があってファンの目を意識していたからこそコミュニティを作ることができて、コミュニティがあったからこそ初期にスタンプをランクインさせることができました。ファンの目を意識していたからこそ実際に使われて、使われることを通して広まっていくというサイクルが生まれました。博打とは違って、このサイクルには背景があり、一定の再現性が認められます。
ただし、イラストカテゴリでこのサイクルを生むことができる人は現実問題としてわずかだと思います。感性と商業の折り合いをつけることは難しく、長い目で見たら正しい方向に進んでいたとしても成果が出るまでに気の遠くなるような時間がかかります。「水をあげても肥料をまいても10年間芽が出ない」ということが起きたときに、それでも続けられる人はほとんどいません。

何年もひっそりとしていた土を耕し続けた母が一定の成功にこぎ着けられたことは、その姿を近くで見ていた僕から見て本当に喜ばしいことです。このまま流れに乗って作家としての活動の幅を広げていけば、描きたい絵を描いて、それを仕事にしていくことができます。ファンの基盤があるからこそ再現性があり、着実な進歩があります。
この記事が読者やイラストレーターにわずかばかりでも勇気を与えられること、母のファンを少しでも広げられることを願って筆を置きます。


 LINEスタンプ:気まぐれニャンコたち
46
とてもかわいい猫のスタンプ。このスタンプで謝られたりしたら許さざるを得ないです…!


Facebookページ:Seiko Ogisho Art Gallery
24
母の創作活動を発信しているFacebookページ。猫、小鳥、少女、スイーツ、植物画がメインです。

a0960_002464

会社を立ち上げてからもうすぐ一年が経とうとしています。起業以前からの知り合いに会うと「会社を立ち上げて楽しいか」というようなことを聞かれます。
自分の心境を口頭でうまく表現する自信ができなくて、いつも「ぼちぼちやっているよ」と適当な言葉で濁してしまいます。この1年間濁し続けてきた心境を明文化するために記事を書こうと思います。

起業してからと言うもの、基本的に僕は憂鬱です。安泰からは程遠く、考えても考えても足りない。失敗したらどうしようという不安が常にあって、実際にうまくいかないことがたくさんあります。乗り越えられるか分からない壁が何度も立ちはだかって、すれすれのところで乗り越え続けているけれど、限りある時間は着実にすり減っています。うまくいくこともあるけれど、それに喜んでいる暇はありません。
こんなに憂鬱で満たされた生活を送る合理性は何でしょうか。
法人の寿命を意識しているうちに、自然と個人の寿命についても考えるようになりました。人生は一度しかありません。その人生を何に使うかというテーマについて考えたとき、今の時間の使い方は果たして正しいのだろうかということを考えます。

結論から言うと、50年後に今を振り返ったときに後悔するかというと、そうではない気がしています。憂鬱は必ずしもネガティブのサインではありません。走ると息が苦しくなりますが「だからトレーニングはしない方が良い」という論理にはなりません。
アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を証明したように、羽生善治が将棋界の一代を築いたように、三島由紀夫が純文学の境地に達したように、とめどない憂鬱を受け止めて進んだ先にある希望を見たい。そのために時間を使えるのであれば、それは幸せと言っても差し支えないと思います。
僕は学生の頃まで「純文学作家になりたい」という夢を持っていて、太宰治の「葉桜と魔笛」や村上龍の「イン ザ・ミソスープ」を読んだとき、こんな作品を生み出せたら死んでも悔いはないだろうなと純粋に思いました。その頃から根本的な価値観は何も変わっていないのだと思います。

憂鬱な顔をした僕を見ることがあるかもしれません。そのときはこのエントリーを思い出してください。
僕は元気にやっています。

a0005_000149

働かない「働きアリ」が存在する

「アリとキリギリス」という物語や「働きアリ」という一般名詞があるくらい、アリには働き者の印象があります。
確かにアリは炎天下でも大きな食糧をほんのわずかずつ削りながら巣まで持ち帰るという気の遠くなるような労働に精を出しています。
しかし地中に張り巡らされた巣の中には、実はサボっている働きアリが大量にいます。一生働くことのないまま寿命を迎えるアリもいるそうです。

アリは社会を形成しています。子どもを生む女王アリ、卵が乾燥しないようになめ続けるアリ、巣の修復をするアリ、エサを調達するアリ。企業のようにうまいこと仕事の分担ができているものの、それぞれのアリに指示を出している管理職のようなアリは存在しません。
どうやって仕事の分担ができているかというと、それぞれの労働に対する個体の閾値をばらばらにすることでコントロールしているそうです。
アリAはちょっと巣が崩れているだけでも気になって巣の修復に取りかかりますが、アリBはちょっと崩れている程度では気にしません。このため普段はアリAの感覚に近いアリが猛烈に働いて巣の修復をしています。ところが働きすぎるアリは早死にする傾向にあります。アリAが死んでしまって巣の崩壊がかなり進んでくると、アリBも「ヤバい!」と考えて巣の修復に取りかかります。
このように仕事に対して個体ごとの「閾値」をあえてばらばらにすることで、常に適度な労働をそれぞれのタスクに割り振れるようにアリの生態系は作られています。結果的に一生閾値を超えることなく(つまり働くことなく)天寿をまっとうするアリもいるわけです。

働かない「サラリーマン」が人類を救う?

ビジネス書がお好きな方々はピンときたと思いますが、このアリの生態系とパレートの法則には何だかつながりがありそうです。組織の2割が超頑張って、6割がほどほどで、2割がサボるというあれです。全員がフル稼働している話題のブラック企業はどうか分かりませんが、ある程度規模の大きくなってきた通常の企業では2割くらいのサラリーマンが働かなくなってしまいます。
みんなが張り切ってデスクワークをしていたら人類が絶滅する、ということは考えにくいものの、さかのぼれば人はもともと狩猟して暮らしていました。ここからは完全に憶測になります。当時は主に男性が狩りに行ったり水を汲みに行ったりしていたのではないかと思われるのですが、このときすべての男性が張り切って外出していたら、例えばオオカミの群れに襲われて全滅するような可能性もあったと思います。こうなると家に残っていた子どもとその世話をしていた女性までもピンチに陥ります。仕事をサボってだらだらしている男性が洞窟の奥にいたことが想像できなくはありません。外出組が全滅したときに立ち上がるピンチヒッターとしてです。
人類はもともとパソコンを操ったりコンビニで買いものをする前提で進化した形態ではないので、生物として見たときに習性の根拠はこの狩猟民族だった頃に求めるのが自然です。サボるサラリーマンが存在するのは、もともとは人類を絶滅させないための習性であると考えられるのです。

ビジネス書も良いけど自然科学の本を読むのもおすすめ

僕は自然科学、中でも生物学の本が好きで良く読みます。
自己啓発の書籍や記事でいろいろと細かいことが書かれていますが、人間は文化人である前に生物の一種なので、生物学を学ぶと「他人が何を考えているのか」「自分が何を基準に行動しているのか」が根源的な部分で見えてくることがあります。
例えば「自分の血筋が有利に残るようにする」というモチベーションは強烈で、多くの言動を掘り進めるとここに帰結します。自分や他人の行動原理が腑に落ちると、不必要なことに悩む必要もなくなるし、自分の考えを肯定しやすくなります。
ビジネス書も良いけれど、自然科学の本を読んでみるのもおすすめです。

もっとアリのことを知りたい方はこちらをどうぞ!
すごく面白いです。

 

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

N934_akusyuwosurutebiz500-thumb-781x500-1867
「人脈」という言葉を使うときな臭いけど、特に中小企業は一つの業務提携が会社の大きな躍進につながったりするので、僕は積極的に人に会うようにしています。交流会にも参加するしCoffeeMeetingも活用しています。交流会で名刺交換しまくったり、自分の事業を何回も何回も説明するのは気が滅入るけれど、それも仕事だと割り切っています。

社長さんとお会いするといつも「相手のために何ができるか」を考える

そんなこんなで最近いろいろな社長さんともお会いしています。会社の代表同士で会うと、当然仕事の話をします。お互いに何をやっているか。どういった課題感があるのか。お互いにどういったことを提供できるのか。
そんなビジネスライクな話をしていて疲れないかと思われそうですが、双方にとって仕事が生き甲斐であり、趣味でもあるので、盛り上がりこそすれ、疲れることはあまりありません。鉄ちゃん(注:鉄道オタク)が鉄道の話をしているときと脳内物質の構成はそんなに変わらないと思います。

そしていつも登場する、象徴的な決まり文句があります。
「どなたかおつなぎしてほしい人はいませんか?」というものです。
話しているうちに、事業・情報・人の面で何か相手に貢献できることはないかと、お互いに前のめりになっていきます。これは「ギブしたらテイクできるから」という単純な図式ではないような気がしています。
お互いに事業をしている。同じような苦労をしている。それだけでどこか共感できる部分があり、自然と「相手のために何ができるか」を考えるようになります。

ギブ&テイクは実績よりも気持ちの問題

この「相手のために何ができるか」という思いには双方向性が欠かせません。よく言われるように、お互いに貢献の意思があるときギブ&テイクは成り立ちます。「リターンがないならギブできない」というケチな考えをしているわけではなくて、「搾取することだけを考えているような人を応援する気になれない」という感情的な理由が絡んでくるためです。
ギブ&テイクは、実績面で釣り合っている必要はありませんが、気持ちの面では釣り合っている必要があります。人間は経済合理的である以上に感情に左右される生きものです。少なくとも僕はそうだし、お会いしている方々にもそのような人が多いように感じます。実績のことを考えたらひよっこの僕なんてそもそも相手にしないと思います。
ギブ&テイクはドライな考え方のように見えて、非常にウエットな、人間的なコミュニケーションです。ビジネスとか人脈とか一見きな臭いですが、中に入るほど人間的なコミュニティであることが、足湯のように沁み入ります。

↑このページのトップヘ