カテゴリ: エッセー

「半月後には資金調達を完了して一気に事業を加速させる!」
「2か月後に新しいサービスをリリースする!」
「5年後にIPOしてEXITする!」

スタートアップを立ち上げると、少なからず上記のように先を見据えた視点を持つ必要があると思います。
「ベンチャーにはスピード感がある」とは言っても、資金調達には必要なプロセスがたくさんあってどんなにスムーズにいっても1か月はかかりますし、開発については内容に応じて1か月でも1年でも要するものです。

このとき、1か月先や半年先が待ち遠しく思えてしまうことがあります。
この「待ち遠しい」という感覚の陰には、死神が顔を覗かせます。

「早く1か月後にならないかな」「早く半年後にならないかな」なんて思っているうちに、僕たちは年を食って死んでしまいます。
小学生の頃だったら夏休みを待ち遠しく思う気持ちは健全でしたが、既に人生の1/3を消費してしまった僕のような起業家には、消化試合のような日々を送っている暇はないはずだし、そんなことをしていたらそもそも何のために生きているのかよく分からなくなってしまいます。

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リニアに何かを目指すことのできた20代

「将来起業したい」ということを思うようになってから、僕は中小企業診断士の資格を取るために勉強したり、Web業界に転職したり、プログラミングスクールに通ったりといったことをしました。
就職活動のときには「10年先にはどうなっていたいですか?」みたいな質問が面談の常套句のように飛び交っていましたが、まさに10年後のために頑張るみたいなことがあんまり苦もなくできていたように思います。

ところが30代を目前にして、ふと気づくことになります。人生が有限であること、10年先のために努力をしているうちに死んでしまいかねないこと、何か一つの目標めがけていくゲームのような考え方が人の一生とは馴染みようがないこと。
そもそもの考え方を改めないといけない。
人が定義した十進数の切りの良い数字でしかないはずの30という節目はしかし、僕にとって確かな転換点となりました。

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夢にもポートフォリオがあった方が良いという話

ではどのように考えを改める必要があるか。大まかな方向性としては「目標を目指すばかりではなく、プロセス自体も楽しむ」というものになるだろうという見当はつきます。今日に満足し、楽しみながらも前に進むことができたらこれ以上の充実はなさそうです。
これを実現するためにはどうしたら良いのか。

まず取り組む事業と自分のモチベーションは一致していた方が良いでしょう。
「好きなことと仕事は分けて考えたほうが良い」みたいな定型句がありますが、分けずにできた方が良いに決まっています。
すり合わせるためにはもちろん努力が必要ですが、やりたくないことをやって余生を過ごすよりも100倍マシなはずです。

それとは違う視点で、よりメッシュの細かい部分もケアしておく必要もあります。
これに関して、ブロガー・作家でいらっしゃるはあちゅうさんの書籍『半径5メートルの野望』に、
  • 小さな夢を毎日叶え続けるということが大切
  • 夢と言っても『香港旅行に行く』とか『親をおいしいランチに連れて行く』みたいな実現しやすい小さなものでも構わない
というようなことが書いてあって、まさにこれだと膝を打ちました。



大きな目標ばかりに目をとらわれると気が遠くなってしまいますが、夢には大小あって良くて、また小さな夢が大きな夢の構成要素になっていることもままあることで、それらを一つ一つ積み重ねていくことができれば、今日を楽しむことができるし、やがては遠くに行くこともできます。
  • 体脂肪率を15%まで絞る
  • リゾートに行ってリフレッシュする
  • 自分のことをもっと知ってもらうために、毎週1本以上はブログ記事を更新する
  • 起業家から相談を受けたら、メッセージベースのアドバイスは一切惜しまない
  • 旅行がてらアジアの視察をする
  • 年内に月商1,000万円を突破する
  • エンジニアチームを6人まで拡大する
  • マーガレットハウエルのジャケットを買う
  • 会社をIPOさせる
  • テクノロジーのフロンティアを開拓する
といった具合に、その粒度も方向性もばらばらな夢のポートフォリオを組んでみる。
中には短期的には実現が難しいものもあれば、比較的容易なものもあります。
「プロジェクトを成功に導くには、まずは小さな成功体験をチームに積ませることが大切」ということをどこかのコンサルタントさんがおっしゃっていましたが、まさにそれと同じ感覚で、コンスタンスな達成がモチベーションに大きく寄与してくれるものです。

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個人的にも、ひとつの事業に集中しすぎると、その事業が停滞した時、いつかはその停滞期を抜ける日が来るとしても、それまで精神的にはかなりしんどい状態になってしまうことを経験しています。
2つのこと、3つのことをやっていれば、どれかが停滞していてもどれかが進んでいる状態をキープしやすいので、日々が楽しくなります。一つの事業にフォーカスする場合も、それを要素分解して「ここはうまくいってないけどここは調子良い」みたいに考えられたら同じような構図に持ち込めます。

「夢」でくくるとさすがに粒度にばらつきが出すぎてしまうので、「大きな夢」と「小さな夢」というラベルで分けて書き出してみると良さそうです。
そしてそれらを叶えるためのアクションプランに落とし込んでいけば、随分と行動に移しやすくなります。

起業家やビジネスマンこそメンタルマネジメントを

スポーツ選手はコンディションによって大きくパフォーマンスを左右されるため、どのようにメンタルマネジメントするかという部分に気を配っていることは想像に難くありません。
一方で、ビジネスマンについてはどうでしょうか。「深酒しない」「就寝時間は一定に保つ」といったフィジカルな部分に注意している方は少なくないと思いますが、「何となくやる気出ないな」というときにどうやってリカバるか、メンタル面を積極的にケアできているという方は少数派なのではないでしょうか。
確かに二日酔いも厄介なものですが、それ以上に「込み入ったことが書いてあるに違いないこのメールをどうしても開く気になれない」という気分の方が業務に与える影響は大きいと思います。
そんなときに夢のポートフォリオはあなたをいつもご機嫌にして、大いに支えてくれるものと思います。大きな夢だけでなく、ぜひ小さな夢も並べ立てるということをしてみてください。

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学生時代からの友人、堤 真矢が新作映画のプロジェクトを進めていて、それに伴ってクラウドファンディングをはじめました。
「映画作品・アート作品のクラウドファンディングは内輪感満載すぎてついていけない」と敬遠なさっている方も多いのではないかと思うのですが、少しピントを変えてそのディティールを覗くと見え方が変わってきます。

彼は学生の頃から自主制作映画を撮り続けていて、社会人になってからもフリーランスとして映像制作をしながらも変わらずに自主制作活動を続けています。
驚きなのが、今回の制作費350万円のほとんどを個人で捻出しようとしているところです。既に制作には着手していて、今回のクラウドファンディングで集まっても集まらなくても必ず完成させるという男らしいやつです。

テーマは30歳を目前にした劇団員たちが、それぞれの人生と折り合いをつけながら、自分たちが果たして何者かになれるのか、一つの劇に可能性を込めるというもの。
この設定はほぼそのまま、フリーランスで映像制作をしながらも自主制作映画を作り続けている監督の心中を反映しているはずで、自分の良いところも悪いところも作品の中でダイレクトに表現する堤 真矢の純文学的なアプローチが期待されます。
今までそうやって映画を撮ってきたし、その作品は少なからず視聴者の心を打ってきたと思います。


過去の自主制作映画『ソラリアビジョンであいましょう』

うまくいくかどうか分からないことにありったけの時間とお金を使う

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何がすごいかって、やっぱりお金と時間をそこに突っ込んでいるという事実だと思います。
映像作品を作るのは本当に大変で、脚本を書き、制作費を捻出して、オーディションで役者を集め、撮影のロケーションを一つ一つ決めて、撮影が少しでもスムーズにいくように絵コンテを描きながらカット単位で撮影の順番を決めて、それでも役者や撮影スタッフを長時間拘束することになる前提でスケジュールを組み、悪天候なども加味してバックアッププランを立てておく。後にも膨大な編集作業と公演という大きなイベントが控えています。
アウトプットが明確ではない中で大勢を巻き込んでいく。チームビルディングしていく。そして自分の口座の350万円をそのプロジェクトの源泉にする。

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この構図って起業とすごく似ていると思います。(注: 筆者はファッションベンチャーを2014年に立ち上げて今も取り組んでいる起業家です。)
何もないところから何かを作り上げるということは、結局は自分のお金と時間と情熱をありったけ突っ込むという話になります。
中でも時間は限られているものだし、僕も30を前後している今まさに、自分は何に時間を使うべきなのだろうとか、自分は何者かになれるのだろうかということは本当によく考えます。人生の1/3を消化した時、突然人生が有限であるということが身に迫ります。

うまくいくかどうか分からない。うまくいかなかったら自分は何者にもなれないかもしれない。それでもチャレンジしないことには100%リターンはありえない。
みなさんにも思うところはあるのではないでしょうか。

映像作品というコンテンツフォーマットの可能性

クラウドファンディングと言うとどうしても内輪感があったり小さな生態系に収まってしまったりするプロジェクトが多くなりがちですが、普遍的なテーマに挑むこの作品は多くの共感を呼びうるし、世界に勇気を生む可能性があるのではないかと、プロジェクトの概要を読んでいて思いました。ちょっとでも気になったらぜひ目を通してみてください。


ちょうどコンテンツ業界にもディスラプトの波が来ています。映画館やテレビ番組といった従来のフォーマットが強度を失い、YouTubeやAbema、ネットフリックスみたいな、今までになかったアプローチでコンテンツが発芽するプラットフォームが急速に力を蓄えていっています。
本来コンテンツはそれ自体がパワーを持っています。競合が多い反面、共感を生むことさえできれば非常にスケーラブルなものです。そのことは鉄拳さんのアニメや「つみきのいえ」が証明してくれています。

もともと映像作家や映画監督になる道のりは大きく2つに分けられます。
  1. 映像制作会社などでCMや番組などの監督としてキャリアと実績を積み上げる。指名で依頼が来るくらいにまでなってくると、独立の道も見えてくる。映像制作のスキルを買われて映画の制作にも取り組む。
  2. 同様に映像制作会社などで現場経験を積んだ後、フリーランスの助監督として映画制作のプロジェクトに関わりながら人脈と信頼を地道に開拓していく。並行してシナリオも書き続け、コンテストや業界で権限を持つキーパーソンの目に留まるチャンスをうかがう。
フリーで映像制作をするという堤のやり方は、このどちらにも属しません。だからこそその選択が正しかったのか本人も悩んでいるだろうしこれからも悩み続けるだろうし、一方で第三の道を開通させるという可能性がそこにはあります。
環境が大きく変化する中、彼が映像作家としてどうやって戦っていくのかを含めてすごく楽しみだし、同じ起業家として応援していきたいと思いま、この記事を発信します。

6月、7月はコンテンツ・マーケティング強化月間にしていこうと思っています。
目先の目的は採用活動ですが、それ以外にも、とにかくステークホルダーの方々に情報を届けるということが、今さらながら大切だと思いなおしたことが理由の一つです。
 
モデルさんたち、モデル事務所、株主、広告のクライアント、開発のクライアント、#CBKのユーザー、提携メディア、提携通販サイト、ライターさん、開発のパートナー。この他、金銭的なやり取りが発生していなくても気にかけてくれて、良くしてくれる人たち。
ニューロープはまだ3人の小さな会社ですが、気づけば多方面に多様なステークホルダーの方々がいて、支えられています。
 
幻冬舎社長の見城徹さんが本で「癒着」が競争要因になるというようなことを書かれていました。
これはきっと真実で、賢い人たちがたくさんいて、情報が一瞬で出回ってしまうような世の中で、ウサイン・ボルトのように周りを出し抜くということは非常に難しい。結局は人と人のつながりや信頼性が事業を大きく左右することがあるのだろうと思います。
単純に取引をする、しないだけではなくて、取引をするにしても熱を入れてもらえるかどうかで大きく差がついていくようなことがあります。オンオフの間には、グラデーションがある。ここを少しでも良くしうるのは、癒着だと思います。

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ではどうしたら良いのかということを考えると、やっぱりストーリーを発信していくしかない。思いは表に出さないとないのと同じです。
僕は文章を書くことにたくさんの時間を使ってきたので、表現することに慣れています。これを使わない手はないだろうと思います。
 
もちろん良いチーム、良いプロダクトは最低条件として必要です。プロダクトの伴わないパブリシティがいかに打っても響かないかということは私も起業してからの1年で嫌というほど実感しました。
でも、そろそろ声を上げ始めるのも悪くなさそうです。2年前とは周囲の景色が徐々にですが変わってきました。
 
情報発信することで、嫌われることもあるかもしれません。でも波風が一切立たないよりはきっとずっと良いでしょう。
初めてお会いする方から「ブログ、読みました」と言われることが、割とあります。そうやって切り出してくださる方は、総じて好意的です。
何年も更新せずにいたブログが、癒着を生むチャンスを何回ふいにしたか、今となっては知れません。


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ピッチやらブログやら、細切れで情報発信してはいるのですが、酒井が何をしているのかまとまった記録を付けられていなかったので、あらためて今僕が取り組んでいる事業について書こうと思います。

僕は2014年1月にニューロープという会社を立ち上げ、3人のチームでCUBKI(カブキ)というウェブサービスを運営しています。

モデルさん、読者モデルさんを中心に現在120人くらいのタレントさんたちと提携しています。CUBKIでは、彼女たちのコーデに似ているプチプラ(注:低価格)のアイテムを買うことができます。憧れのモデルさんの着こなしを気軽に取り入れることができるのがポイントです。

マガジンサイトではスタイリストさんの書いたトレンド記事や、モデルさんのインタビュー記事を読むことができます。
夢展望さんと組んでファッションコンテストを実施したりもしています。

勝手に他サイトから画像を引用してサービスを展開しているベンチャーはたくさんあるし、それで成功しているところも少なくありません。
うちがそういったことをせずにいる背景には、正義感もありますが、"著作権を違反していたらタレントさんたちの協力を得られない"という事情も多分にあります。著作権を無碍にすると、コンテストやインタビューといった我々とタレントさんたちのコラボ企画が成立しなくなります。
著作権をクリアにして、きちんとコラボしていることがCUBKIの強みだと思っています。



話が少しだけ横道にそれますが、先日「一瞬の夏」という上下巻のノンフィクションを読みました。一度はチャンピオンに輝いていたボクサーが持ち崩し、4年のブランクを経てからまた王座を目指すストーリーです。特にボクシングに興味があったわけではないのですが、ノンフィクションが好きであることと、作家があの「深夜特急」の著者である沢木耕太郎さんだったことから手に取りました。
チャンピオンにでもならない限り、ボクシング一本で食べていくことはできません。更に興行側の都合が大きく、選手側にやる気があってもいつ試合を組めるのか分からない。ボクシングとは別に仕事をしながら、生活を切り詰めながら、いつあるのか分からない試合のためにコンディションを整え続ける必要がある。水泳やフィギュアスケートの選手が試合に向けて調整するのに苦しんでいることを考えると、そもそも「その試合がいつになるか分からない」というのは想像するだけで恐怖です。
そういった”しんどい日々"を切り抜けても、最終的に"勝ちか負けか"というシビアな未来に突き進んでいるところに、僕は起業家と重なる部分を感じました。どんなに頑張っても、相手も頑張っているわけだから、ダメかもしれない。人生を擲って打ち込んでもどうなるか分からない。
それでもボクサーも起業家も頑張り続ける必要があると思います。
「一瞬の夏」では主役のカシアス内藤の他にも数人、丁寧に描かれているボクサーが登場します。読んでいて感じたのは、勝つために頑張ってきたボクサーは"負けても美しい"ということです。反面で十分な調整もせず、 ファイトマネーを目的として勝つ気があるのかないのか分からないような体型でリングに上がるのは恥ずかしいし、そんな試合をしても本人が気持ちを消化できるはずがありません。
僕はこのことを他人ごととして突き放すことができません。お腹をたるませて最後の勝負に出られずあきらめていった起業家は少なくないし、その気持ちも痛いくらいに分かるからです。でも、それをやってしまったら志が折れてもとに戻せなくなってしまう気がします。
今のタイミングでこの作品を読めて本当に良かったと思います。

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検索クエリ数の推移

CUBKIを10月にリリースして以降、利用者は順調に伸び続けています。(上図参照)
今月末にはかなり大きな施策を打ちます。
来月頃にはiOSアプリもリリースする予定です。
また、現在はフリーのモデルさんたちがメインですが、芸能事務所さんとの提携にも動き出しています。例えばですが「ローラさんのコーデをプチプラで買える!」と言えばサービスとして分かりやすいし、多くのユーザーさんに支持されるサービスになるからです。(ここは何が何でもはずせない部分だと思っています。芸能事務所さんとつながりのある方がいらっしゃればぜひご紹介ください!)

勝ちにいきます。
今後ともご支援のほど、よろしくお願いいたします!

(繰り返しになりますが、芸能事務所さんとの提携を進めています。提携することで、芸能事務所さんにもすごく分かりやすいベネフィットを提供できます。簡単に言うと、現在様々な新興メディアがタレントさんの著作物にフリーライドして収益を上げています。これをオフィシャル化して、収益やトラフィックをしっかりとタレントさん、事務所さんに還元する仕組みを作ります。ピンときた方はFacebookでもメールでもご連絡くださいませ!)

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僕は中学生の頃から純文学を好んで読んできたけれど、社会人になった2009年から突然ビジネス書ばかりを読むようになった。
マーケティングの本、広告の本、アクセス解析の本、PHPの本、組織論、セールス、デザイン、セルフブランディング、運営管理、経理、ファイナンス、ビジネスモデル、栄養学、健康、失敗学、プロジェクト管理、情報設計、交渉学、認知心理学。
ビジネスのフィールドで真剣に闘っていこうと思ったからであるし、学んだ内容を翌日すぐに活かせることがすごく面白かったからでもある。
中小企業診断士や簿記といった資格もこのときに取得した。
どんどん新しいカテゴリの仕事に踏み込み、本を頼って切り抜けてきた。
反面で限界に苛まれるようなところがあった。
70点とか80点とかは取れる。でも100点とか100点を超えられるような気は全然しなかった。そのことには目もくれずに新しいことを学び続けた。新しいことを学び続けている限り自分の限界と向き合う必要がなかった。あらゆるジャンルの勉強をしてあらゆる要素を統合できる人間になればいつかブレイクスルーするという根拠のない見通しもあった。
純文学は読まなくなっていた。純文学は読むのに時間がかかるし、読んでも翌日活かせることなんてない。純文学を読むことに時間を費やすのは惜しい気がしていた。

「祈ればすぐに救われますよ」というコンセプトが多くの新興宗教に共通しているけれど、振り返ればそれに少し似ている。ビジネス書は読めばすぐに活用できる。それがビジネス書の売り文句だ。インスタントだから思わず飛びつく。
この売り文句は反面、底が知れいていることも暗に示している。100人が読めば100人が同じように解釈できる本は、それだけの情報価値しか持ちえない。勉強熱心な人たちはみんな大量のビジネス書を読み込んで、みんな極めて順調に突き進み、みんな同じ限界に行き当たる。
ビジネス書を読めば、チームや会社単位では活躍できる。知っているか知らないかの世界なので、知っていることが価値になり、役に立てる。チーム単位だと何よりだ。
でも視点を広げて企業間、世界規模で考えると、同じことを知っている人はたくさんいるので途端に価値が疑わしくなる。僕は起業してそのことを嫌というほど思い知った。10万分売れた本に書いてあることは10万人が知っている。10万人が知っていることを知っていても革新的なことは何一つできない。
ゴミや難破船や死体のような自律性を持たないあらゆる静物が潮の流れで同じ浜辺に行き着くように、勉強熱心なビジネスマンが大量に打ち上げられる浜辺がある。大海を縦横に立ち回っていたつもりが潮の流れに揺らいでいただけだったということを、そのときになってようやく気づく。


最近「編集者という病い」という見城徹さんの著書に触発されて久しぶりに文学寄りの本を何冊か読んだ。
例えばノンフィクションだけれど、山際涼司さんの「スローカーブを、もう一球」。
ボクシング、野球、スカッシュ、棒高跳びなど、様々なバックグラウンドを持つスポーツ選手を描く短篇集で、彼らの美学にフォーカスしている。厳しい世界で、なんとなく自分の限界を自覚できて、それでもスポーツに生涯を捧げるためには、ポリシーや美学が欠かせない。
特に棒高跳びのストーリーは象徴的だった。その選手は背が高くない。背が高くないことは棒高跳びにおいて不利で、身長や走る早さを勘案すると、跳べる高さの限界は見えている。その限界に黙々と挑戦する。いざ限界を超えたとき、次に何をしたら良いのか分からなくなる。
(ノンフィクションを文学にカテゴライズすることに疑問を感じる人は「聖の青春」「スローカーブを、もう一球」「フェルマーの最終定理」あたりを是非読んでみてほしい。人の生きざまは文学足りえる。)

スポーツには直線的なところがある。勝つという明確なゴールがあり、そのために鍛えたり戦略を練ったりする。直線的であるがゆえに競争は極めて厳しい。何を思って立ち向かうかというマインドの部分は、結果がシンプルだからこそ引き立つ。直線的なはずなのにマインドが人によってまったく違う。マインドが勝負を左右するのかは分からない。でもマインド以外に拠り所はない。

ここで文学を引き合いに出したのは、あくまでもビジネス書との対比で話を単純化するために過ぎないけれど、文学は100人が読んだときにそれぞれが違う解釈をする。よく分からない。明日使える類のものではない。けれど、そういうカオスな部分でしか人は人と違うことはできない。「スローカーブを、もう一球」から何が学べるのかということは明文化しにくい。だからこそ価値がある。誰もが行き着く潮目から漕ぎ出す推進力を秘めている。
ビジネス書を否定することはしない。そこそこのところまで駆け上がる手段として有用なのは間違いない。僕は6年間も読み続けてきたのだし、これからも読むに違いない。ただ誰もがアクセスできて誰もが理解できるビジネス書は、そこそこのところまでしか連れて行ってくれない。
その先に行くためには人との対話であったり文学であったり、よく分からないことを考え続ける必要がある。6年間遠のいてしまっていた文学に、僕は活路があるような気がしてならない。エモーションとか感性とか、得体の知れないものが人に残されたバリューなのだから。

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最近「若者が結婚を敬遠している」という切り口のエントリーが増えています。結論としては「家庭を持ち、子どもを育てることが金銭的に不安」というものが大半。
結婚することは本当に金銭的なリスクにつながるものなのでしょうか。

僕は2013年末に入籍しました。色々と経緯はあるのですが、結果的には起業とほぼときを同じくして家庭を築くことになりました。
当初は僕自身も言い知れない不安を抱えていました。
「事業が失敗して妻を巻き込んだらどうしよう」
「家庭があって本当に仕事に打ち込むことはできるのだろうか」
実際に生活を始めてみてそれが杞憂であるとすぐに気づきます。

結婚しても生活コストはそんなに上がらない

まず、結婚したからと言って生活コストが上がるわけではありません。これは当たり前の話です。家賃も食費も光熱費も、共働きであれば折半することになるのでむしろ負担は軽減されます。家具家電もそんなに買う必要のあるものはないし、イケアやオークションを使えば、許容範囲の中でものを買うことができます。
子どもができてからも、試算してみると状況は変わりません。子どもの生活費は高が知れているし、当面は義務教育だし高校も公立に入ってもらえば教育費はかかりません。見えている出費としては保育や塾くらいで、後者は独学でも何とかなります。(僕は塾をほとんど利用しませんでした。)
何にせよ一時的な出費は均せば大したものにはならないしある程度コントロール可能なので、家賃や食費のような固定費がどうなるのかを考えましょう。
仮に事業に失敗しても、またサラリーマンに戻ればほとんど支障がないことが分かります。

結婚しても仕事のパフォーマンスは下がらない

次に「仕事に打ち込めるか」という論点。起業家に限らずビジネスマンはキャリア的な観点から結婚する・しないで悩む人も多いのではないかと思います。
半年くらいの短期決戦であれば独身の方が有利です。結婚すると毎日会社に泊まり込んで仕事に明け暮れるということができません。(できないと言うか推奨されないと言うか)
ただ、個人的な経験から「仕事以外何も顧みない」という状況は、続けられて半年くらいだと考えています。身体がついていかなくなってあらゆるパフォーマンスが落ちてくるからです。反面でパートナーと規則正しい生活リズムを作り、健康的な食生活を続けていると、長期的にパフォーマンスを維持して事業に取り組むことができます。(精神的な支えもありがたいです!)
家で仕事をすることもできるので長時間労働と家族との時間を両立することは可能だし、バリキャリ系の世界にどっぷりつかっていると価値観がマジョリティからかけ離れていってしまうのでちょっと街に出かけるようなことも、起業家として大事だと思っています。(「努力せよ!」「自己否定せよ!」「人脈開拓せよ!」みたいな人が作ったサービスにマジョリティがついていくとは個人的に思えません)

考えるなら「唯ぼんやりとした不安」を数値化してから考える

実際に周りの起業家には結婚している方が少なくありません。話を聞くと皆さん"倒産した際にどうするか"ということもしっかりと考慮した上で、「リスクを許容できる」という判断をしています。
芥川龍之介ばりに「唯ぼんやりとした不安」を抱えているだけでは結婚にネガティブになります。実生活を想定し、大まかにでも生活コストを試算したら案外お金がかからないことはすぐに分かります。
「唯ぼんやりとした不安」をまずは数値化する。それが許容できるかどうか判断すれば、多くの人が結婚に対するネガティブな印象を払拭できるのではないかと思います。
ビジネスでは当たり前のようになされていることなのに、私生活になるとこれが急にできなくなる少なくありません。

結婚が敬遠される理由は他にもあると思いますが、ネガティブなイメージは調味料のように撹拌して他の要素にもまんべんなく影響を与えるものだと思うので、そこに焦点を当てて考えてみました。

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僕は2014年1月に会社を設立して以来、「こうすべき」「これはしないべき」ということばかりを考えて過ごしてしまったような気がします。
起業したのにと言うべきか、起業したからこそと言うべきか、間違えるのが怖くて、人に話を聞き、本を読み、どうするのが正しいかばかりを考えていました。
そんなことをしていても成功するはずがありません。”正解"に辿り着こうとすれば、他のみんなと同じところに行き着くはずです。頑張れば頑張るほどコモディティに陥ってしまうのです。
考えに考えた事業計画書はどんどん洗練されていったけれど、それは同時にどんどんありきたりなものにもなっていきました。

この状況から抜け出す手がかりはどこにあるのだろうということを考えていて、たまたま読んでいたドワンゴ川上さんの書籍に近しいことが書かれていました。そこには「自分でもどう転ぶか分からないようなことをすべき」「読めないことをするのが最高の差別化」「希少性が価値の源泉」というような意味のことが書かれていたんです。
ロジックとしては腑に落ちたものの、僕は頭が良くないのでこれをどのように自分に適用したら良いのか、すぐには解釈できませんでした。

しばらく考えながら日々過ごしていて行き着いたのが、すごく古典的な経営理論「企業文化は模倣されにくい」というものです。
メンバー3人のスタートアップだったので「企業文化も何もない」と無意識のうちに打ち捨てていたのですが、零細企業だろうが個人だろうが、生きてきた分だけカルチャーを持っています。価値観、経験則、スキルなどが複雑に絡み合ったカルチャーを誰もが持っていて、第三者がこれをコピーすることは非常に困難です。

「企業文化は模倣されにくい」
競争力の源泉がない零細企業や個人が価値を生むためには、この埃をかぶった(となぜか僕は考えてしまっていた)経営理論を持ち出さない手はありません。
2015年の抱負に取り入れたい、たった1つの観点。それは「自分のカルチャーは何か」ということをあらためて見つめなおすことです。これを色濃くすればするほど第三者が模倣することは困難になります。


参考までに、2015年に僕が守りたいと考えている2つのカルチャーをご紹介します。

・ロックであること
ピュアであること。反骨精神をなくさないこと。人から変だと思われても自分の信念を貫くこと。いつも自分なりに格好をつけて生きること。情熱的であること。楽しむこと。アーティスティックであり続けること。わくわくするような発想を大切にすること。

・ミニマルであること
雑念や物にとらわれないこと。いつも身軽でシンプルでいること。一枚の葉のようにふらふらとどこへでも行けること。人から奪わないこと。勤勉であること。受け入れること。


明文化するとどうしても一般論のようになってしまうものの、本人が解釈できたら十分ですよね。
カルチャーを色濃くすると「人に認められる価値」を生むことが難しくなる副作用も伴います。後から必死に考えて市場とすり合わせる必要性は前提条件としてあります。

オンリーワンであること自体の価値は長くなるので論じませんが、オンリーワン要素を活かすことは大切だと思います。「2015年の抱負」にはあなたのカルチャー要素も加えてみてはいかがでしょうか。

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僕はCUBKI(カブキ)というメディアコマースを運営しています。
モデル、読者モデル、スタイリストのようなタレントさんたちのファッションスナップがサイトには並んでいて、ユーザーはそのコーディネートの着用アイテムに似ているアイテムをプチプラ(低価格)で購入することができます。

どうやってスナップに”似ているアイテム”を紐づけているかというと、流行りの画像認識ではなく、人力に頼っています。今後画像認識と人力のハイブリッドにするようなことは考えられますが、人力に分があることは当面変わらないと考えています。

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こういう話をピッチイベントですると、ウケがあんまり良くありません。他のスタートアップが「どう自動化するか」「どうデータ活用するか」というモダンな話をしている中で、何だか"いけてない印象"を与えるのだと思います。

でも「筋が悪いな」と人から思われるくらいがちょうど良いと思っています。ウェブアプリもスマホアプリも乱立する中で、人のやりたがらないこと、人のしようとしないことに取りかかって初めて今までになかったサービスを作りあげることができるからです。

とは言ってもCUBKIは無闇に人力に頼っているわけではありません。CUBKIが扱っているのはモデルや読者モデルのようなタレントのスナップだけ。コンテンツ価値が非常に高いんです。千疋屋があまおうを一つ一つ磨いてきれいに箱詰めするのと同じように、我々は職人の手でスナップを一つ一つデータ化していっています。もともとコンテンツ価値の高いものに、更に付加価値をプラスしているんです。

こうすることでユーザーに確かなバリューを提供できます。かわいいスナップが並んでいるので、CUBKIを開くだけでも気分が上がります。気に入ったアイテムはプチプラで購入してファッションに取り入れられるので、より「自分ごと」の深度のあるメリットを享受できます。更にファッションに関するエモーショナルな記事を読めば、内面磨きにもつながります。分かりやすいところから理解にちょっと時間がかかるところまで、レイヤーを複数持つことで「実際に使われて」かつ「飽きのこない」メディアを目指しています。

一方でタレントさんたちにはお金を稼いだり、新しいファンを取り入れたりできる場を提供しようとしています。タレントさんをうまく利用しようとかいう魂胆はなくて、個人として頑張っている人たちの力になることをまずは考えています。タレントさんたちの力になることができれば、おそらく結果はついてくるからです。
まだ始めたばかりですが、タレントさんたちを取材する企画も始めました。モデルさんたちは皆さん熱い思いをお持ちなんだけれど、必ずしもそれを文章表現することに長けているわけではありません。「新しいコンテンツを引き出す」という面でもお力になりたいと思っています。
育児、美容師、モデルの仕事を楽しみながら、外見も内面も磨く"望月けい子さん"にインタビュー! 


まとめると、現時点ではとにかく「ユーザーに支持されること」を一番に考えています。ユーザーさん、タレントさんたちのためにならないことには、何も始まりません。
ビッグデータ的なものは最初に見通しを立てて設計さえしていれば、後からいくらでも活用できます。例えばCUBKIにはデータ化された大量のハイセンスなコーディネートがあるので、ファッションリーダーであるタレントたちが「何と何を着合わせているのか」というデータを持っています。このデータを活かして人工知能のスタイリストを作ることもできるし、次期のトレンド予測をするようなこともできます。
まずは使ってもらう。そこを愚直に突き詰めているのが、CUBKIの現状です。 

CUBKI(カブキ)
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11月に発売された母のスタンプ(気まぐれニャンコたち)は、翌日にはクリエイターズスタンプのトップ100位以内にランクインし、お金をかけてプロモーションを打っているわけでもないのに、ユーザーに使われ、使われることで広まるサイクルで、じわじわと順位を上げていきました。
LINEスタンプはその競争率の高さから「博打」と見なされることもあります。実際に「適当に作ってアップしてみたらぼろ儲けしました」という人も少なくないようですが、そうやって「博打で成功した人」と「着実に積み上げてきて成功した人」とは分けて考える必要があります。前者には再現性がなく、後者には再現性があります。僕の母はどちらかというと不器用な後者であり、成功までには明確な道のりがあります。この道のりには一定の情報価値があると個人的に思い、僕なりに分析して記事にまとめることにしました。

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1.イラストの技術をずっと磨き続けてきたこと

母はもともと請け負い仕事でイラストを描いていました。「描きたい絵と仕事絵のギャップがあること」を原因に仕事の請け負いをやめた時期もあったけれど、その間も絵を描くこと自体は決してやめませんでした。「シェ プッペ」というアンティークショップを経営しながら、家事をしながら、忙しい時期でも言い訳することなく合間の時間を寄せ集めては毎日何時間も画材と向かい合っていました。
母の絵はすごく独創性が高いわけでもなく、有名イラストレーターのように商業とマッチしているわけでもないけれど、10年、20年というスパンで繊細な水彩画・色鉛筆画はただただ真摯に磨かれていきました。
水彩から色鉛筆に持ち替えたり、「自分の描きたいモチーフ」に限って仕事絵を再開したりといった”トライ”も大切にしていました。成人した子どもが2人もいるような年齢からPhotoshopやIllustrator(注:画像編集用のソフトウェア)の使い方をマスターして、ポストカードを作ったり、色調整やレイアウトの要素を取り入れて創作の幅を広げてきました。

母は時間をかけて細かく描き込むために、紙の目の細かい"ケント紙"という画材を使っています。このため日が沈んで室内が暗くなると、絵のディテールが見えなくなって描けなくなってしまいます。冬が来て日中が短くなるたびに、母はそのことを残念がります。それほどにイラストを中心に据えた生活を送っています。

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2.「見る人」からのフィードバックを大切にしてきたこと

アートの分野では商業における需給バランスが悩ましい問題です。才能があって努力をしていても「商業に合わない」という理由で絵とは別に食い扶持を持つ必要に迫られるアーティストが毎年美大から輩出され続けています。若手アーティストの集まる展示会を見に行くと、その完成度や芸術性の高さに感動させられるけれど、商業的に必要とされるのはその中のごく一部です。
「芸術と商業の折り合いをどう付けるか」はこれまでも議論されてきたし、これからもたくさんの人が頭を悩ませる問題だと思います。

母は自分の描きたい絵だけを描き続けながらも、描くことだけに満足することなく、個展を開いたりウェブサイトで発信したりと、常に「見られる」ことにも気を配っていました。ビジターの感想を聞いたり、ウェブサイトのアクセス履歴を見たり、ポストカードを作って販売したりすれば「どのイラストが人気か」ということが多面的に分かります。
自信作に人気がないことに悩んだりもしながら、発信することでフィードバックを得て、マーケットの感覚を母なりに学び続けています。

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3.ファンのコミュニティをつくり続けてきたこと

個人の作家を成功に導くのはファンです。1:nの関係を大きくしていくことが作家として成功するための鍵であり、ここに取り組まない限りは請け負いで「1枚いくら」の仕事をしていく他ありません。

個展やグループ展といったアナログから始まり、mixiのコミュニティで意見交換の場を作ったり、Facebookページで創作活動を発信したりと、トレンドにキャッチアップして母はコミュニティ作りを続けてきました。
他にもブログ・pixiv・Pinterestと時代の流れにあったツールを愚直に取り入れてきたこと、そこで丁寧な運営を続けてきたことがファンの基盤を作り、少しずつ、着実に実を結んできました。
LINEスタンプに取り組んだこともその延長上にあります。このスタンプがより多くの人の目に留まることで、ファングループがまた一回り成長していくのだと思います。

さいごに:母がLINEスタンプをヒットさせるまでに回してきたサイクル

母は技術を磨き続け、マーケットの感覚を知り、時代に合ったツールでコミュニティを作り続けてきたことで、LINEスタンプをヒットに結びつけることができました。
技術があってファンの目を意識していたからこそコミュニティを作ることができて、コミュニティがあったからこそ初期にスタンプをランクインさせることができました。ファンの目を意識していたからこそ実際に使われて、使われることを通して広まっていくというサイクルが生まれました。博打とは違って、このサイクルには背景があり、一定の再現性が認められます。
ただし、イラストカテゴリでこのサイクルを生むことができる人は現実問題としてわずかだと思います。感性と商業の折り合いをつけることは難しく、長い目で見たら正しい方向に進んでいたとしても成果が出るまでに気の遠くなるような時間がかかります。「水をあげても肥料をまいても10年間芽が出ない」ということが起きたときに、それでも続けられる人はほとんどいません。

何年もひっそりとしていた土を耕し続けた母が一定の成功にこぎ着けられたことは、その姿を近くで見ていた僕から見て本当に喜ばしいことです。このまま流れに乗って作家としての活動の幅を広げていけば、描きたい絵を描いて、それを仕事にしていくことができます。ファンの基盤があるからこそ再現性があり、着実な進歩があります。
この記事が読者やイラストレーターにわずかばかりでも勇気を与えられること、母のファンを少しでも広げられることを願って筆を置きます。


 LINEスタンプ:気まぐれニャンコたち
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とてもかわいい猫のスタンプ。このスタンプで謝られたりしたら許さざるを得ないです…!


Facebookページ:Seiko Ogisho Art Gallery
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母の創作活動を発信しているFacebookページ。猫、小鳥、少女、スイーツ、植物画がメインです。

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会社を立ち上げてからもうすぐ一年が経とうとしています。起業以前からの知り合いに会うと「会社を立ち上げて楽しいか」というようなことを聞かれます。
自分の心境を口頭でうまく表現する自信ができなくて、いつも「ぼちぼちやっているよ」と適当な言葉で濁してしまいます。この1年間濁し続けてきた心境を明文化するために記事を書こうと思います。

起業してからと言うもの、基本的に僕は憂鬱です。安泰からは程遠く、考えても考えても足りない。失敗したらどうしようという不安が常にあって、実際にうまくいかないことがたくさんあります。乗り越えられるか分からない壁が何度も立ちはだかって、すれすれのところで乗り越え続けているけれど、限りある時間は着実にすり減っています。うまくいくこともあるけれど、それに喜んでいる暇はありません。
こんなに憂鬱で満たされた生活を送る合理性は何でしょうか。
法人の寿命を意識しているうちに、自然と個人の寿命についても考えるようになりました。人生は一度しかありません。その人生を何に使うかというテーマについて考えたとき、今の時間の使い方は果たして正しいのだろうかということを考えます。

結論から言うと、50年後に今を振り返ったときに後悔するかというと、そうではない気がしています。憂鬱は必ずしもネガティブのサインではありません。走ると息が苦しくなりますが「だからトレーニングはしない方が良い」という論理にはなりません。
アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を証明したように、羽生善治が将棋界の一代を築いたように、三島由紀夫が純文学の境地に達したように、とめどない憂鬱を受け止めて進んだ先にある希望を見たい。そのために時間を使えるのであれば、それは幸せと言っても差し支えないと思います。
僕は学生の頃まで「純文学作家になりたい」という夢を持っていて、太宰治の「葉桜と魔笛」や村上龍の「イン ザ・ミソスープ」を読んだとき、こんな作品を生み出せたら死んでも悔いはないだろうなと純粋に思いました。その頃から根本的な価値観は何も変わっていないのだと思います。

憂鬱な顔をした僕を見ることがあるかもしれません。そのときはこのエントリーを思い出してください。
僕は元気にやっています。

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