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会社を立ち上げてからもうすぐ一年が経とうとしています。起業以前からの知り合いに会うと「会社を立ち上げて楽しいか」というようなことを聞かれます。
自分の心境を口頭でうまく表現する自信ができなくて、いつも「ぼちぼちやっているよ」と適当な言葉で濁してしまいます。この1年間濁し続けてきた心境を明文化するために記事を書こうと思います。

起業してからと言うもの、基本的に僕は憂鬱です。安泰からは程遠く、考えても考えても足りない。失敗したらどうしようという不安が常にあって、実際にうまくいかないことがたくさんあります。乗り越えられるか分からない壁が何度も立ちはだかって、すれすれのところで乗り越え続けているけれど、限りある時間は着実にすり減っています。うまくいくこともあるけれど、それに喜んでいる暇はありません。
こんなに憂鬱で満たされた生活を送る合理性は何でしょうか。
法人の寿命を意識しているうちに、自然と個人の寿命についても考えるようになりました。人生は一度しかありません。その人生を何に使うかというテーマについて考えたとき、今の時間の使い方は果たして正しいのだろうかということを考えます。

結論から言うと、50年後に今を振り返ったときに後悔するかというと、そうではない気がしています。憂鬱は必ずしもネガティブのサインではありません。走ると息が苦しくなりますが「だからトレーニングはしない方が良い」という論理にはなりません。
アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を証明したように、羽生善治が将棋界の一代を築いたように、三島由紀夫が純文学の境地に達したように、とめどない憂鬱を受け止めて進んだ先にある希望を見たい。そのために時間を使えるのであれば、それは幸せと言っても差し支えないと思います。
僕は学生の頃まで「純文学作家になりたい」という夢を持っていて、太宰治の「葉桜と魔笛」や村上龍の「イン ザ・ミソスープ」を読んだとき、こんな作品を生み出せたら死んでも悔いはないだろうなと純粋に思いました。その頃から根本的な価値観は何も変わっていないのだと思います。

憂鬱な顔をした僕を見ることがあるかもしれません。そのときはこのエントリーを思い出してください。
僕は元気にやっています。