カテゴリ: ビジネス

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僕はCUBKIというウェブサービスを運用していて、このサービスを通して影響力のあるモデルさん、読モさんたちとのリレーションを持っています。
彼女たちはみんなブログを長年運用していて、月間PVが10万を越える人も多く、中には100万を越えるような人もちらほらいます。
本業ではないものの、僕はこのブログを通して企業のプロダクトをプロモーションする、いわゆるブログプロモーションのお仕事をときどきさせていただいています。
その経験を踏まえて、「ブログプロモーションには意味があるのか?」というお話をします。

そもそもブログを見ている人はいるのか?

情報発信の場がSNSにシフトしてからもうかなり経ちます。mixiが流行りだしたのは10年も前の話ですよね。そのご時世に「ブログ」と言われてもピンと来ない人も多いと思います。
果たしてブログは未だに見られているのか。
結論から言ってしまうと、ブログはまだ影響力を持っています。
理由としては下記のようなものが挙げられます。
  • ブログは商品になります。SNSと違って写真、テキスト、リンクを組み合わせて記事を作ることができるし、広告を貼り付けることもできます。商売道具になるからこそ、今でもパワーブロガーはブログを多頻度で更新し、SNSからブログへとファンを送客しています。
  • アメブロにしてもライブドアにしても、ブログはSEOに強い性格を持っています。SNSやアプリにシフトしていると言っても、ウェブ上のトラフィックの多くは検索エンジンから生まれています。
つまりブロガーはブログを書き続けているし、検索エンジンやSNSからユーザーは流入している状況です。だから数十万、数百万PVのブログが珍しくないのです。

バズマーケティングに効果はあるのか?

未だに見られていることは分かった。でも読者はばかではない。記事と広告の違いくらい見分けられるのではないか。
“ステマ”という言葉も広く知れ渡り、インターネットユーザーのリテラシーが底上げされているのは事実だと思います。
一方でパワーブロガーさんたちがファンから支持を得ていることはそのPV数からも推し量れるし、「そのガウチョパンツはどこで買ったものですか?」というようなより詳細の情報を求める読者のコメントが付いていることからもうかがえます。
大切なのは「人と企画がマッチしているか」というポイントです。ブロガーさんの文脈に合わない商材を紹介してもらっても意味はないけれど、ブロガーさんが共感できるようなアイテムであれば読者の共感も得られる。そんな当たり前の構図を守るか守らないかで効果の有無は変わってきます。

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数万PVを叩きだしたファッションコンテスト企画

今までいくつか実際に施策を打ちましたが、例えばファッションコンテスト企画は成功した事例です。アパレル企業さんとタイアップし、モデルさん、読モさんたちに参加してもらってオンライン上でファッションコンテストを開催したところ、数万PVを叩き出すことができました。タイアップページのPV単価を相場の100円程度で試算すると、数百万円の広告効果があることになります。
これは下記の2点でファンの共感を得ることができたためと考えています。
  • ファッションをテーマとしているところ。モデルさん、読モさんとファッションはもともと相性が良く、「アパレル企業の多数ある商品の中からモデルさんが良いと思うアイテム」をチョイスしているため、企業が売りたいものをプッシュしているだけではなく、モデルさんの感性がそこにはプラスされています。
  • ファンがモデルさんを応援する構図があるところ。もともとファンの人たちには、ひいきにしているモデルさんを応援してい気持ちがあります。これはユナイテッドのCHEERZやDeNAのShow roomを見ていても分かることです。

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まとめ

読者モデルやパワーブロガーに影響力があるのは確かです。ただしただブログやSNSに書いてもらえば良いという話ではなく、企画をしっかりとフィットさせる必要があります。
バズマーケティングをお考えの方はお気軽にお問い合わせください!

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僕は中学生の頃から純文学を好んで読んできたけれど、社会人になった2009年から突然ビジネス書ばかりを読むようになった。
マーケティングの本、広告の本、アクセス解析の本、PHPの本、組織論、セールス、デザイン、セルフブランディング、運営管理、経理、ファイナンス、ビジネスモデル、栄養学、健康、失敗学、プロジェクト管理、情報設計、交渉学、認知心理学。
ビジネスのフィールドで真剣に闘っていこうと思ったからであるし、学んだ内容を翌日すぐに活かせることがすごく面白かったからでもある。
中小企業診断士や簿記といった資格もこのときに取得した。
どんどん新しいカテゴリの仕事に踏み込み、本を頼って切り抜けてきた。
反面で限界に苛まれるようなところがあった。
70点とか80点とかは取れる。でも100点とか100点を超えられるような気は全然しなかった。そのことには目もくれずに新しいことを学び続けた。新しいことを学び続けている限り自分の限界と向き合う必要がなかった。あらゆるジャンルの勉強をしてあらゆる要素を統合できる人間になればいつかブレイクスルーするという根拠のない見通しもあった。
純文学は読まなくなっていた。純文学は読むのに時間がかかるし、読んでも翌日活かせることなんてない。純文学を読むことに時間を費やすのは惜しい気がしていた。

「祈ればすぐに救われますよ」というコンセプトが多くの新興宗教に共通しているけれど、振り返ればそれに少し似ている。ビジネス書は読めばすぐに活用できる。それがビジネス書の売り文句だ。インスタントだから思わず飛びつく。
この売り文句は反面、底が知れいていることも暗に示している。100人が読めば100人が同じように解釈できる本は、それだけの情報価値しか持ちえない。勉強熱心な人たちはみんな大量のビジネス書を読み込んで、みんな極めて順調に突き進み、みんな同じ限界に行き当たる。
ビジネス書を読めば、チームや会社単位では活躍できる。知っているか知らないかの世界なので、知っていることが価値になり、役に立てる。チーム単位だと何よりだ。
でも視点を広げて企業間、世界規模で考えると、同じことを知っている人はたくさんいるので途端に価値が疑わしくなる。僕は起業してそのことを嫌というほど思い知った。10万分売れた本に書いてあることは10万人が知っている。10万人が知っていることを知っていても革新的なことは何一つできない。
ゴミや難破船や死体のような自律性を持たないあらゆる静物が潮の流れで同じ浜辺に行き着くように、勉強熱心なビジネスマンが大量に打ち上げられる浜辺がある。大海を縦横に立ち回っていたつもりが潮の流れに揺らいでいただけだったということを、そのときになってようやく気づく。


最近「編集者という病い」という見城徹さんの著書に触発されて久しぶりに文学寄りの本を何冊か読んだ。
例えばノンフィクションだけれど、山際涼司さんの「スローカーブを、もう一球」。
ボクシング、野球、スカッシュ、棒高跳びなど、様々なバックグラウンドを持つスポーツ選手を描く短篇集で、彼らの美学にフォーカスしている。厳しい世界で、なんとなく自分の限界を自覚できて、それでもスポーツに生涯を捧げるためには、ポリシーや美学が欠かせない。
特に棒高跳びのストーリーは象徴的だった。その選手は背が高くない。背が高くないことは棒高跳びにおいて不利で、身長や走る早さを勘案すると、跳べる高さの限界は見えている。その限界に黙々と挑戦する。いざ限界を超えたとき、次に何をしたら良いのか分からなくなる。
(ノンフィクションを文学にカテゴライズすることに疑問を感じる人は「聖の青春」「スローカーブを、もう一球」「フェルマーの最終定理」あたりを是非読んでみてほしい。人の生きざまは文学足りえる。)

スポーツには直線的なところがある。勝つという明確なゴールがあり、そのために鍛えたり戦略を練ったりする。直線的であるがゆえに競争は極めて厳しい。何を思って立ち向かうかというマインドの部分は、結果がシンプルだからこそ引き立つ。直線的なはずなのにマインドが人によってまったく違う。マインドが勝負を左右するのかは分からない。でもマインド以外に拠り所はない。

ここで文学を引き合いに出したのは、あくまでもビジネス書との対比で話を単純化するために過ぎないけれど、文学は100人が読んだときにそれぞれが違う解釈をする。よく分からない。明日使える類のものではない。けれど、そういうカオスな部分でしか人は人と違うことはできない。「スローカーブを、もう一球」から何が学べるのかということは明文化しにくい。だからこそ価値がある。誰もが行き着く潮目から漕ぎ出す推進力を秘めている。
ビジネス書を否定することはしない。そこそこのところまで駆け上がる手段として有用なのは間違いない。僕は6年間も読み続けてきたのだし、これからも読むに違いない。ただ誰もがアクセスできて誰もが理解できるビジネス書は、そこそこのところまでしか連れて行ってくれない。
その先に行くためには人との対話であったり文学であったり、よく分からないことを考え続ける必要がある。6年間遠のいてしまっていた文学に、僕は活路があるような気がしてならない。エモーションとか感性とか、得体の知れないものが人に残されたバリューなのだから。

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僕は2014年1月に会社を設立して以来、「こうすべき」「これはしないべき」ということばかりを考えて過ごしてしまったような気がします。
起業したのにと言うべきか、起業したからこそと言うべきか、間違えるのが怖くて、人に話を聞き、本を読み、どうするのが正しいかばかりを考えていました。
そんなことをしていても成功するはずがありません。”正解"に辿り着こうとすれば、他のみんなと同じところに行き着くはずです。頑張れば頑張るほどコモディティに陥ってしまうのです。
考えに考えた事業計画書はどんどん洗練されていったけれど、それは同時にどんどんありきたりなものにもなっていきました。

この状況から抜け出す手がかりはどこにあるのだろうということを考えていて、たまたま読んでいたドワンゴ川上さんの書籍に近しいことが書かれていました。そこには「自分でもどう転ぶか分からないようなことをすべき」「読めないことをするのが最高の差別化」「希少性が価値の源泉」というような意味のことが書かれていたんです。
ロジックとしては腑に落ちたものの、僕は頭が良くないのでこれをどのように自分に適用したら良いのか、すぐには解釈できませんでした。

しばらく考えながら日々過ごしていて行き着いたのが、すごく古典的な経営理論「企業文化は模倣されにくい」というものです。
メンバー3人のスタートアップだったので「企業文化も何もない」と無意識のうちに打ち捨てていたのですが、零細企業だろうが個人だろうが、生きてきた分だけカルチャーを持っています。価値観、経験則、スキルなどが複雑に絡み合ったカルチャーを誰もが持っていて、第三者がこれをコピーすることは非常に困難です。

「企業文化は模倣されにくい」
競争力の源泉がない零細企業や個人が価値を生むためには、この埃をかぶった(となぜか僕は考えてしまっていた)経営理論を持ち出さない手はありません。
2015年の抱負に取り入れたい、たった1つの観点。それは「自分のカルチャーは何か」ということをあらためて見つめなおすことです。これを色濃くすればするほど第三者が模倣することは困難になります。


参考までに、2015年に僕が守りたいと考えている2つのカルチャーをご紹介します。

・ロックであること
ピュアであること。反骨精神をなくさないこと。人から変だと思われても自分の信念を貫くこと。いつも自分なりに格好をつけて生きること。情熱的であること。楽しむこと。アーティスティックであり続けること。わくわくするような発想を大切にすること。

・ミニマルであること
雑念や物にとらわれないこと。いつも身軽でシンプルでいること。一枚の葉のようにふらふらとどこへでも行けること。人から奪わないこと。勤勉であること。受け入れること。


明文化するとどうしても一般論のようになってしまうものの、本人が解釈できたら十分ですよね。
カルチャーを色濃くすると「人に認められる価値」を生むことが難しくなる副作用も伴います。後から必死に考えて市場とすり合わせる必要性は前提条件としてあります。

オンリーワンであること自体の価値は長くなるので論じませんが、オンリーワン要素を活かすことは大切だと思います。「2015年の抱負」にはあなたのカルチャー要素も加えてみてはいかがでしょうか。

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大学院卒業と同時に独立した友達


大学の頃の同級生に、院の卒業と同時に就職せずそのままフリーのアニメ監督になった人間がいます。
卒業していきなり独立することの是非を問う議論は昔からありますが、今回そこは焦点ではありません。
彼は学生の頃から外部企業の仕事を請け負っていたこともあり、クライアントもパートナー(アニメーターさんなど)も十分に確保できていて、最初からオフィスも構えてビジネスを軌道に乗せることができました。

僕は院には行かずサラリーマンになったので、その頃すでに3年目。ある程度決裁権をいただいていたこともあり、その友達を応援するつもりで仕事をお願いしました。最初は漫画の表現を利用したDMを制作する軽めのお仕事でした。
他のフリーランスや制作会社さんと仕事をすることはそれまでにも何度かありましたが、驚かされたのは彼のレスポンスの早さ、段取りの迅速さ、企画の提案力、コミュニケーション能力です。軽く概要を伝えただけですぐにスケジュール感や絵コンテ付きの企画が返ってきて、その勢いで面白いくらいとんとんと制作が進んでいきました。
応援するつもりが逆に助けられてしまったのです。このとき彼が軌道に乗った理由がよく分かりました。途中から僕自身がリピートしたい気持ちでいっぱいになっていました。


独立してうまくいく人、苦戦する人


アニメ監督の彼に限らず、僕の身の周りには独立している人、独立を目指している人が少なくありません。
デザイナーだったり、エンジニアだったり、映像制作だったり、いわゆる「フリーランス」と呼ばれる人たちです。
相対的に見てうまくいく人、苦戦する人がいるわけですが、それを分ける要素が何かというと、感覚的には技術力よりも営業力であることが多いように感じます。
どんなに技術力があってクオリティの高いデザインができたとしても、営業力がなければ新規の仕事を獲得することもリピートしてもらうこともできません。
逆に多少技術力に難があったとしても、プロジェクトが円滑に進んで納品されることが確かであればリピートされます。
ここで言う「営業力」というのは、スーツを着ていて礼儀がなっているとかそういうことではなく、アニメ監督の彼が体現しているような、クイックレスポンス、ディレクション能力、企画力といった、クライアントが最終的に感じる満足度を上げるための様々なコミュニケーション要素です。
ここがしっかりしていると安定的に仕事が回って、仕事につながるかどうかも分からないような営業に時間を割く必要もなくなります。

補足しておくと、ランサーズやクラウドワークスといったクラウドソーシング系のサービスがフリーランスの新しい働き方を提示しているという状況ではありますが、クラウドソーシングでも同様に営業力が見られてそれがクライアントからの評価として残り、やっぱり同様に格差がついていくことになります。
またフリーランスとしてやっていく上でクラウドソーシングを使うとオフショア(海外のリソースを使っている日本人や、生活コストの低い海外に住んで仕事を受けている日本人)と競合するのでかなり相場が低く、なかなか余裕のある暮らしはできないのが現状です。


クライアントはなぜ営業力のある人間に仕事をお願いするのか


クライアントの大半はサラリーマンです。サラリーマンが一番避けたいのは失敗することです。納期を守れず社内全体のプロジェクトが滞るようなことになれば、どう責任を取ったら良いか分かりません。昇給が難しくなるだけではなく、チーム内での信頼まで失ってしまいます。
フリーランスの人には平気で数日メールの返信をしない人もいますが、そういうことをされるとたまらなく不安になるわけです。だから密にコミュニケーションを取ってくれることは、リピートする/しないの最低条件と言っても良いと思います。
他にも「楽しくプロジェクトをしたい」とか「良いアウトプットを生みたい」といった要望はありますが、飛び抜けて大切なことが「信頼できる人と仕事をしたい」です。
フリーになったら人間関係やいろいろな制約から自由になれるイメージがあるかもしれませんが、フリーランスの方が営業力はより求められるようになります。
そういった意味でフリーランスになることを検討している方は、技術だけ磨いていくのではなく、社内でのコミュニケーションなど営業力に直結するようなタスクにも真剣に取り組んでいくのが良いと僕は思っています。


最後になりましたが、アニメ監督の友達の名前は山元隼一
バンダイナムコやNHKなどで、最近も色々と活躍しているようです。
イラストやアニメ制作の案件があったら、すごくおすすめなので一度声をかけてみてください!

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「人脈」という言葉を使うときな臭いけど、特に中小企業は一つの業務提携が会社の大きな躍進につながったりするので、僕は積極的に人に会うようにしています。交流会にも参加するしCoffeeMeetingも活用しています。交流会で名刺交換しまくったり、自分の事業を何回も何回も説明するのは気が滅入るけれど、それも仕事だと割り切っています。

社長さんとお会いするといつも「相手のために何ができるか」を考える

そんなこんなで最近いろいろな社長さんともお会いしています。会社の代表同士で会うと、当然仕事の話をします。お互いに何をやっているか。どういった課題感があるのか。お互いにどういったことを提供できるのか。
そんなビジネスライクな話をしていて疲れないかと思われそうですが、双方にとって仕事が生き甲斐であり、趣味でもあるので、盛り上がりこそすれ、疲れることはあまりありません。鉄ちゃん(注:鉄道オタク)が鉄道の話をしているときと脳内物質の構成はそんなに変わらないと思います。

そしていつも登場する、象徴的な決まり文句があります。
「どなたかおつなぎしてほしい人はいませんか?」というものです。
話しているうちに、事業・情報・人の面で何か相手に貢献できることはないかと、お互いに前のめりになっていきます。これは「ギブしたらテイクできるから」という単純な図式ではないような気がしています。
お互いに事業をしている。同じような苦労をしている。それだけでどこか共感できる部分があり、自然と「相手のために何ができるか」を考えるようになります。

ギブ&テイクは実績よりも気持ちの問題

この「相手のために何ができるか」という思いには双方向性が欠かせません。よく言われるように、お互いに貢献の意思があるときギブ&テイクは成り立ちます。「リターンがないならギブできない」というケチな考えをしているわけではなくて、「搾取することだけを考えているような人を応援する気になれない」という感情的な理由が絡んでくるためです。
ギブ&テイクは、実績面で釣り合っている必要はありませんが、気持ちの面では釣り合っている必要があります。人間は経済合理的である以上に感情に左右される生きものです。少なくとも僕はそうだし、お会いしている方々にもそのような人が多いように感じます。実績のことを考えたらひよっこの僕なんてそもそも相手にしないと思います。
ギブ&テイクはドライな考え方のように見えて、非常にウエットな、人間的なコミュニケーションです。ビジネスとか人脈とか一見きな臭いですが、中に入るほど人間的なコミュニティであることが、足湯のように沁み入ります。

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