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ピッチやらブログやら、細切れで情報発信してはいるのですが、酒井が何をしているのかまとまった記録を付けられていなかったので、あらためて今僕が取り組んでいる事業について書こうと思います。

僕は2014年1月にニューロープという会社を立ち上げ、3人のチームでCUBKI(カブキ)というウェブサービスを運営しています。

モデルさん、読者モデルさんを中心に現在120人くらいのタレントさんたちと提携しています。CUBKIでは、彼女たちのコーデに似ているプチプラ(注:低価格)のアイテムを買うことができます。憧れのモデルさんの着こなしを気軽に取り入れることができるのがポイントです。

マガジンサイトではスタイリストさんの書いたトレンド記事や、モデルさんのインタビュー記事を読むことができます。
夢展望さんと組んでファッションコンテストを実施したりもしています。

勝手に他サイトから画像を引用してサービスを展開しているベンチャーはたくさんあるし、それで成功しているところも少なくありません。
うちがそういったことをせずにいる背景には、正義感もありますが、"著作権を違反していたらタレントさんたちの協力を得られない"という事情も多分にあります。著作権を無碍にすると、コンテストやインタビューといった我々とタレントさんたちのコラボ企画が成立しなくなります。
著作権をクリアにして、きちんとコラボしていることがCUBKIの強みだと思っています。



話が少しだけ横道にそれますが、先日「一瞬の夏」という上下巻のノンフィクションを読みました。一度はチャンピオンに輝いていたボクサーが持ち崩し、4年のブランクを経てからまた王座を目指すストーリーです。特にボクシングに興味があったわけではないのですが、ノンフィクションが好きであることと、作家があの「深夜特急」の著者である沢木耕太郎さんだったことから手に取りました。
チャンピオンにでもならない限り、ボクシング一本で食べていくことはできません。更に興行側の都合が大きく、選手側にやる気があってもいつ試合を組めるのか分からない。ボクシングとは別に仕事をしながら、生活を切り詰めながら、いつあるのか分からない試合のためにコンディションを整え続ける必要がある。水泳やフィギュアスケートの選手が試合に向けて調整するのに苦しんでいることを考えると、そもそも「その試合がいつになるか分からない」というのは想像するだけで恐怖です。
そういった”しんどい日々"を切り抜けても、最終的に"勝ちか負けか"というシビアな未来に突き進んでいるところに、僕は起業家と重なる部分を感じました。どんなに頑張っても、相手も頑張っているわけだから、ダメかもしれない。人生を擲って打ち込んでもどうなるか分からない。
それでもボクサーも起業家も頑張り続ける必要があると思います。
「一瞬の夏」では主役のカシアス内藤の他にも数人、丁寧に描かれているボクサーが登場します。読んでいて感じたのは、勝つために頑張ってきたボクサーは"負けても美しい"ということです。反面で十分な調整もせず、 ファイトマネーを目的として勝つ気があるのかないのか分からないような体型でリングに上がるのは恥ずかしいし、そんな試合をしても本人が気持ちを消化できるはずがありません。
僕はこのことを他人ごととして突き放すことができません。お腹をたるませて最後の勝負に出られずあきらめていった起業家は少なくないし、その気持ちも痛いくらいに分かるからです。でも、それをやってしまったら志が折れてもとに戻せなくなってしまう気がします。
今のタイミングでこの作品を読めて本当に良かったと思います。

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検索クエリ数の推移

CUBKIを10月にリリースして以降、利用者は順調に伸び続けています。(上図参照)
今月末にはかなり大きな施策を打ちます。
来月頃にはiOSアプリもリリースする予定です。
また、現在はフリーのモデルさんたちがメインですが、芸能事務所さんとの提携にも動き出しています。例えばですが「ローラさんのコーデをプチプラで買える!」と言えばサービスとして分かりやすいし、多くのユーザーさんに支持されるサービスになるからです。(ここは何が何でもはずせない部分だと思っています。芸能事務所さんとつながりのある方がいらっしゃればぜひご紹介ください!)

勝ちにいきます。
今後ともご支援のほど、よろしくお願いいたします!

(繰り返しになりますが、芸能事務所さんとの提携を進めています。提携することで、芸能事務所さんにもすごく分かりやすいベネフィットを提供できます。簡単に言うと、現在様々な新興メディアがタレントさんの著作物にフリーライドして収益を上げています。これをオフィシャル化して、収益やトラフィックをしっかりとタレントさん、事務所さんに還元する仕組みを作ります。ピンときた方はFacebookでもメールでもご連絡くださいませ!)

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僕は中学生の頃から純文学を好んで読んできたけれど、社会人になった2009年から突然ビジネス書ばかりを読むようになった。
マーケティングの本、広告の本、アクセス解析の本、PHPの本、組織論、セールス、デザイン、セルフブランディング、運営管理、経理、ファイナンス、ビジネスモデル、栄養学、健康、失敗学、プロジェクト管理、情報設計、交渉学、認知心理学。
ビジネスのフィールドで真剣に闘っていこうと思ったからであるし、学んだ内容を翌日すぐに活かせることがすごく面白かったからでもある。
中小企業診断士や簿記といった資格もこのときに取得した。
どんどん新しいカテゴリの仕事に踏み込み、本を頼って切り抜けてきた。
反面で限界に苛まれるようなところがあった。
70点とか80点とかは取れる。でも100点とか100点を超えられるような気は全然しなかった。そのことには目もくれずに新しいことを学び続けた。新しいことを学び続けている限り自分の限界と向き合う必要がなかった。あらゆるジャンルの勉強をしてあらゆる要素を統合できる人間になればいつかブレイクスルーするという根拠のない見通しもあった。
純文学は読まなくなっていた。純文学は読むのに時間がかかるし、読んでも翌日活かせることなんてない。純文学を読むことに時間を費やすのは惜しい気がしていた。

「祈ればすぐに救われますよ」というコンセプトが多くの新興宗教に共通しているけれど、振り返ればそれに少し似ている。ビジネス書は読めばすぐに活用できる。それがビジネス書の売り文句だ。インスタントだから思わず飛びつく。
この売り文句は反面、底が知れいていることも暗に示している。100人が読めば100人が同じように解釈できる本は、それだけの情報価値しか持ちえない。勉強熱心な人たちはみんな大量のビジネス書を読み込んで、みんな極めて順調に突き進み、みんな同じ限界に行き当たる。
ビジネス書を読めば、チームや会社単位では活躍できる。知っているか知らないかの世界なので、知っていることが価値になり、役に立てる。チーム単位だと何よりだ。
でも視点を広げて企業間、世界規模で考えると、同じことを知っている人はたくさんいるので途端に価値が疑わしくなる。僕は起業してそのことを嫌というほど思い知った。10万分売れた本に書いてあることは10万人が知っている。10万人が知っていることを知っていても革新的なことは何一つできない。
ゴミや難破船や死体のような自律性を持たないあらゆる静物が潮の流れで同じ浜辺に行き着くように、勉強熱心なビジネスマンが大量に打ち上げられる浜辺がある。大海を縦横に立ち回っていたつもりが潮の流れに揺らいでいただけだったということを、そのときになってようやく気づく。


最近「編集者という病い」という見城徹さんの著書に触発されて久しぶりに文学寄りの本を何冊か読んだ。
例えばノンフィクションだけれど、山際涼司さんの「スローカーブを、もう一球」。
ボクシング、野球、スカッシュ、棒高跳びなど、様々なバックグラウンドを持つスポーツ選手を描く短篇集で、彼らの美学にフォーカスしている。厳しい世界で、なんとなく自分の限界を自覚できて、それでもスポーツに生涯を捧げるためには、ポリシーや美学が欠かせない。
特に棒高跳びのストーリーは象徴的だった。その選手は背が高くない。背が高くないことは棒高跳びにおいて不利で、身長や走る早さを勘案すると、跳べる高さの限界は見えている。その限界に黙々と挑戦する。いざ限界を超えたとき、次に何をしたら良いのか分からなくなる。
(ノンフィクションを文学にカテゴライズすることに疑問を感じる人は「聖の青春」「スローカーブを、もう一球」「フェルマーの最終定理」あたりを是非読んでみてほしい。人の生きざまは文学足りえる。)

スポーツには直線的なところがある。勝つという明確なゴールがあり、そのために鍛えたり戦略を練ったりする。直線的であるがゆえに競争は極めて厳しい。何を思って立ち向かうかというマインドの部分は、結果がシンプルだからこそ引き立つ。直線的なはずなのにマインドが人によってまったく違う。マインドが勝負を左右するのかは分からない。でもマインド以外に拠り所はない。

ここで文学を引き合いに出したのは、あくまでもビジネス書との対比で話を単純化するために過ぎないけれど、文学は100人が読んだときにそれぞれが違う解釈をする。よく分からない。明日使える類のものではない。けれど、そういうカオスな部分でしか人は人と違うことはできない。「スローカーブを、もう一球」から何が学べるのかということは明文化しにくい。だからこそ価値がある。誰もが行き着く潮目から漕ぎ出す推進力を秘めている。
ビジネス書を否定することはしない。そこそこのところまで駆け上がる手段として有用なのは間違いない。僕は6年間も読み続けてきたのだし、これからも読むに違いない。ただ誰もがアクセスできて誰もが理解できるビジネス書は、そこそこのところまでしか連れて行ってくれない。
その先に行くためには人との対話であったり文学であったり、よく分からないことを考え続ける必要がある。6年間遠のいてしまっていた文学に、僕は活路があるような気がしてならない。エモーションとか感性とか、得体の知れないものが人に残されたバリューなのだから。

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最近「若者が結婚を敬遠している」という切り口のエントリーが増えています。結論としては「家庭を持ち、子どもを育てることが金銭的に不安」というものが大半。
結婚することは本当に金銭的なリスクにつながるものなのでしょうか。

僕は2013年末に入籍しました。色々と経緯はあるのですが、結果的には起業とほぼときを同じくして家庭を築くことになりました。
当初は僕自身も言い知れない不安を抱えていました。
「事業が失敗して妻を巻き込んだらどうしよう」
「家庭があって本当に仕事に打ち込むことはできるのだろうか」
実際に生活を始めてみてそれが杞憂であるとすぐに気づきます。

結婚しても生活コストはそんなに上がらない

まず、結婚したからと言って生活コストが上がるわけではありません。これは当たり前の話です。家賃も食費も光熱費も、共働きであれば折半することになるのでむしろ負担は軽減されます。家具家電もそんなに買う必要のあるものはないし、イケアやオークションを使えば、許容範囲の中でものを買うことができます。
子どもができてからも、試算してみると状況は変わりません。子どもの生活費は高が知れているし、当面は義務教育だし高校も公立に入ってもらえば教育費はかかりません。見えている出費としては保育や塾くらいで、後者は独学でも何とかなります。(僕は塾をほとんど利用しませんでした。)
何にせよ一時的な出費は均せば大したものにはならないしある程度コントロール可能なので、家賃や食費のような固定費がどうなるのかを考えましょう。
仮に事業に失敗しても、またサラリーマンに戻ればほとんど支障がないことが分かります。

結婚しても仕事のパフォーマンスは下がらない

次に「仕事に打ち込めるか」という論点。起業家に限らずビジネスマンはキャリア的な観点から結婚する・しないで悩む人も多いのではないかと思います。
半年くらいの短期決戦であれば独身の方が有利です。結婚すると毎日会社に泊まり込んで仕事に明け暮れるということができません。(できないと言うか推奨されないと言うか)
ただ、個人的な経験から「仕事以外何も顧みない」という状況は、続けられて半年くらいだと考えています。身体がついていかなくなってあらゆるパフォーマンスが落ちてくるからです。反面でパートナーと規則正しい生活リズムを作り、健康的な食生活を続けていると、長期的にパフォーマンスを維持して事業に取り組むことができます。(精神的な支えもありがたいです!)
家で仕事をすることもできるので長時間労働と家族との時間を両立することは可能だし、バリキャリ系の世界にどっぷりつかっていると価値観がマジョリティからかけ離れていってしまうのでちょっと街に出かけるようなことも、起業家として大事だと思っています。(「努力せよ!」「自己否定せよ!」「人脈開拓せよ!」みたいな人が作ったサービスにマジョリティがついていくとは個人的に思えません)

考えるなら「唯ぼんやりとした不安」を数値化してから考える

実際に周りの起業家には結婚している方が少なくありません。話を聞くと皆さん"倒産した際にどうするか"ということもしっかりと考慮した上で、「リスクを許容できる」という判断をしています。
芥川龍之介ばりに「唯ぼんやりとした不安」を抱えているだけでは結婚にネガティブになります。実生活を想定し、大まかにでも生活コストを試算したら案外お金がかからないことはすぐに分かります。
「唯ぼんやりとした不安」をまずは数値化する。それが許容できるかどうか判断すれば、多くの人が結婚に対するネガティブな印象を払拭できるのではないかと思います。
ビジネスでは当たり前のようになされていることなのに、私生活になるとこれが急にできなくなる少なくありません。

結婚が敬遠される理由は他にもあると思いますが、ネガティブなイメージは調味料のように撹拌して他の要素にもまんべんなく影響を与えるものだと思うので、そこに焦点を当てて考えてみました。

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