約束の時間に遅れる、傘を忘れる、電車でケータイ電話を音を出して使うなど、様々な望ましくない振る舞いを人々はしてしまう。その理由は何かを考察する一冊。
「だらしないから」とか「モラルがないから」といった個人攻撃は何も解決しないし、そもそも言い換えただけであってロジックになっていない。
行動をしたとき、その行動に対するフィードバックが行動を強化するか弱化する。取引先との約束に遅れたら取引先に怒られ、上司に怒られ、最悪の場合売上が落ちるという強い負のフィードバックが発生する。友達との約束に遅れても友達にちょっと嫌な顔をされるくらいで、特に負のフィードバックは発生しない。
フィードバックは人の行動を形成する上でとても重要な役割を果たしている。フィードバックを分析することで、望ましくない行動を抑制したり、望ましい行動を促進したりといった建設的な議論ができる。

人と会話をしていて、考察の浅さがすごく引っかかることはある。
それこそ「どうしてあの人は協調性がないんだろう」に対して「ゆとり世代だからじゃないかな」という応えで満足するような人が少なくない。(ゆとり世代の皆さんごめんなさい。僕も半分ゆとりです。)
これはメディアや他人が言っていること(ゆとり=協調性がない)という公式を覚えているだけであって、自分の頭で何かを考えているわけではない。
しっかりと行動を分解して初めて対策を考えられるようになる。

この本に書かれていることは行動経済学の一種。ビジネス書やネット記事の短文からは学べないようなことが、学術的な新書には詰まっていると思う。僕は学問をリスペクトしています。



人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書)

高校のバスケットボールの授業中、ラインを切ろうとするボールに手を伸ばしたが届かず、相手チームのボールになってしまうことがありました。
そのときバスケ部の友人がとばしてきた言葉が「先に手を伸ばしてもだめだ。ボールのところまで走っていってから手を伸ばせ」というものでした。
この言葉はすごく象徴的なものだと思います。

最近強く思うのが「身の程より大きくなることはできない」ということです。
見栄を張ってもボロがでるし、本質的に意味がありません。
自分をブランディングしようとしても、十分な材料がなければ著名人たちと同じフィールドでは戦えません。
自分を大きく見せようと思っても仕方がない。自分の身の程をわきまえる必要もありません。わきまえなくてもそれ以上になることがないからです。
NewsPicksで気の利いたことを言っても、有名なCEOのジョークにかき消されてしまいます。Twitterで情報発信しても見向きもされません。でもそれが身の程というものだと思っています。

ほどほどに生きろということではありません。
僕は常にチャレンジをしようと心がけています。それは身の程を少しでも大きくしていくためです。
今日の自分は失望されるかもしれない。それは仕方がない。
でも身の程を大きくし続ければ、いつかはそうではなくなります。
今日結果が出なくても焦る必要はありません。ボールのところまで走っていくしか他に手だてはありません。

本田直之さんや勝間和代さんが牽引してから、ビジネス書ブームが続いています。
投資の仕方、ITの活用方法、効率的な勉強法、人脈の作り方など。
比較的即効性があり、ためになることがふんだんに盛り込まれています。
僕もたくさん読みましたし、これからも読んでいくと思います。

ただ気をつけないといけないのは、他のビジネスパーソンも同様にその書籍を読んでいるのだということです。
みんなが読んでいる本を読んで自分の性能を上げていったところで、シャープの液晶テレビのようにコモディティにしかなることができません。
そこそこの値段にはなるものの、特段必要とされるわけではないし、人と違ったことは何もできずに終わってしまうでしょう。
ビジネス書は即効性がある代わりに、領域が限られており、それ以上の発想や広がりを促すようなところがありません。

価値を生み出すのは、今までの人とまったく違うことをするか、従来あったものでもまったく違う切り口を見つけるかのどちらかです。
ビジネス書をいくら読んでもそのどちらも手をつけることができません。
なぜならみんな読んでいるものだからです。
これは由々しき事態です。


僕はビジネス一般、IT、ファイナンスの他に僕が意識的に手を広げているのは、生物学、純文学、デザインの3つです。
特に生物学は発想する上で非常に有効だと思っています。
人は人間なので、やはり生物学的な制約の上で考え生きています。
生物学は非常に根源的なところを突いているので、人間に必要なものや考え方を振り返る上で拠り所になります。
例えばLINEやFacebookといった成功したサービスの成功要因をばらばらに分解して他の何かを組み立てても価値のあるものは生まれません。
そもそも要素の組み合わせがクリエイティブなのであり、その組み合わせを変えた時点で本質的な価値が失われてしまうからです。

人と違うインプットを心がけましょう。
方法が読書である必要はありません。
みんなが言っていることを無視する強さが新しい価値を生むと僕は思います。

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